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【過去記事】帝国祭閉幕…「ワルシャワの戦い」100周年を記念し、ポーランドの将軍二人が元帥に

更新日:2022年7月31日

2020年 8月18日 LJO】8月15日から18日にかけて行われた、毎年恒例の「フランス帝国祭」がきょう閉幕した。(祭典は18日が最終日程だが、イベント自体は22日まで続く。)

8月15日に開催された軍事パレード

帝国祭とはナポレオン大帝によって創設された祝日「聖ナポレオン祭」に由来する祭典で、第二次世界大戦以降はパリ解放を祝う戦勝記念の祝日も兼ねている。


現在の帝国祭の形式はナポレオン3世、ナポレオン5世によって大方決定づけられた。現在の帝政の先駆けとなる第二帝政を創設したナポレオン3世は、「ボナパルト化」政策の一環として第一帝政の聖ナポレオン祭をフランスの伝統として復古させた。


それから半世紀ほど後、「放蕩家」としても知られるナポレオン5世は高度経済成長期に「欧州最大」の祭典を開くことにこだわり、帝国祭の規模をより盛大なものにしてみせた。帝国祭でミュージックフェスやスポーツのエキシビジョンマッチが行われるようになったのは、おおよそナポレオン5世の趣味によるものだ。


帝国祭はやがて世界最大規模の祭典であるドイツのオクトーバーフェストに匹敵する規模となり、ナポレオン5世以降の帝国祭は経済面でも欠かせない存在となった。8月15日から18日の3日間のために、世界中から数百万人にものぼる観光客がフランスを訪れる。




帝国祭の目玉は何と言っても毎年恒例の軍事パレードにあるだろう。1万人を超える部隊がシャンゼリゼ通りからコンコルド広場にかけてを闊歩する。

最新鋭のミュラ戦車を始め、ナポレオン戦争やドイツ戦争、第一次世界大戦当時のカラフルな軍服に身を包んだ隊員も登場し、フランスの軍事史を表現する。


今年はワルシャワの戦いから100周年を記念し、インテルマリウムから1000人のゲストがパレードに参加


ポーランドの宣伝ポスター

ワルシャワの戦いは1919年から1921年まで続いたポーランド・ソヴィエト戦争で繰り広げられた戦いの一つだ。

当時破竹の勢いでワルシャワに迫っていたボリシェビキ(赤軍)をポーランド・ウクライナ・フランスの連合軍がヴィスワ川で反撃し、撃退した。

当時ポーランドはウクライナと同盟を締結し「インテルマリウム(海洋間連合)」の建設を提唱、フランスのカステルノー政権から強力な支援を受けてボリシェビキに対峙していた。


1920年、ポーランドが赤軍の攻勢で窮地に陥ると、フランスは「ポニャトフスキ軍団」と呼ばれる遠征軍を派遣し、ポーランド・ウクライナの連合軍と共に赤軍と戦うことを決めた。

遠征軍の名称は、フランス元帥の一人であるポーランド人、ユゼフ・ポニャトフスキにちなむ。フランスが派遣した遠征軍には第一次世界大戦の英雄フェルディナン・フォッシュや、のちに首相となるフランソワ・ド・ラロック、第二次世界大戦で活躍した将軍の一人であるマキシム・ウェイガン、そして戦後のフランス政界で帝政支持者として名をはせるシャルル・ド・ゴールなどがいた。ワルシャワでの激戦は、彼らの後の人生にも大きな影響を与えることになる。


ポーランドは8月中旬のワルシャワの戦いでユゼフ・ピウスツキ将軍、ヴワディスワフ・シコルスキ将軍の目覚ましい活躍により、赤軍を壊滅に追い込み、欧州を共産主義の脅威から守り通してみせた。

ワルシャワの戦いで勝利を掴んだポーランド・ウクライナ・フランスの連合軍はリトアニア・ベラルーシ・ウクライナを解放し、インテルマリウムの建設を確実なものとした。一連の勝利は「ヴィスワ川の奇跡」と呼ばれ、現在でもインテルマリウムやフランスでは輝かしい勝利の記憶として語り継がれている。


15日のパレード後に行われた皇太子による演説では、驚きの発表も。

ジョゼフ=ナポレオン皇太子は帝国祭恒例の演説を披露し、インテルマリウムとフランスの「不朽の絆」を記念するため、ポーランドのユゼフ・ピウスツキ将軍、ヴワディスワフ・シコルスキ将軍両名にフランス元帥の称号を送ると語り、大きな話題となっている。

ヨーロッパの平和と安寧は、彼らの英雄的な活躍が無ければ存在し得なかった。私は心から、1920年の勝利を祝福する。…フランスとインテルマリウムは熱い友情で結ばれている。今までも、これからも、私たちの意志はひとつだ。──皇太子の演説より

ポーランド人がフランス元帥となった例は、1813年のユゼフ・ポニャトフスキのただ一つであり、今回の叙任は歴史的な出来事となった。

フランスとインテルマリウムは歴史的にも、経済的にも深い結びつきがある。皇太子の一連の言葉から、今後の更なる交流深化にも期待感が持てるだろう。

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