【過去記事】フランス政府は「不老不死の秘術」を保有していた 新たな情報公開で判明
- MinisterRouher

- 2021年4月1日
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【2021年 4月1日 LJO】1日、フランス政府は新たに情報を公開し、サン=ジェルマン伯爵と呼ばれる人物と、彼にまつわるとある逸話に関する、これまで秘匿されてきた資料を明らかにした。
サン=ジェルマン伯爵は、冒険家、音楽家、画家として知られ、錬金術に関する造詣も深かったとされる、18世紀のヨーロッパで活躍した人物だ。
彼の出自は謎に包まれており、
当人は、ラーコーツィ独立戦争を指揮したトランシルヴァニア公ラーコーツィ=フェレンツ2世の実子であると語っていたが、仮にこれが事実であるとするならば、彼の友人の証言と矛盾することが分かっている。
実際の出自については、スペイン王妃マリー=アンヌ・ド・ヌーブールと貴族のメルガル伯爵の実子とする説、ストラスブールで生まれた「シモン・ヴォルフ」という名のアルザス系ユダヤ人であるという説や、ポルトガル系ユダヤ人という説もあり、一様でない。
しかし、「育ちに恵まれていた」という点は揺るぎようのない事実のようで、音楽や絵など芸術に対する造詣は一流、錬金術や化学に精通し、広い見聞を持っていたのは、残された文献により確かなものだと分かっている。
サン=ジェルマン伯爵は名前を変えながらヨーロッパじゅうを移り住む生活を繰り返していた。
彼が「サン=ジェルマン伯爵」として知れ渡るようになったのは、1740年代初頭のころのようだ。
伯爵は1743年にロンドンで作曲活動を行って生活する中、ジャコバイトのスパイであるとして逮捕された後、しばらくしてロンドンを後にし、ドイツで錬金術の研究に励んだか、あるいは、インドやチベットを旅していたとも言われる、空白の数年間を過ごす。
その後、1758年にフランスでポンパドゥール夫人と知り合い、ルイ15世のもとで外交官として雇われたが、しかし1760年には、彼を疎ましく思う保守派による謀略で、プロイセンへのスパイ行為の疑いがかけられたことで、フランスを去ることを余儀なくされた。
イギリスやドイツを転々とした後、1762年、ロシアにたどり着いた彼は、時のオルロフ伯爵と親交を深め、エカチェリーナ二世によるクーデター計画に加担したといわれている。
1764年に伯爵はプロイセン王フリードリヒ2世のもとで保護され、1784年に「この世を去った」。
このような、突飛な人生を送っている伯爵だが、彼にはもっと突飛な逸話が存在した。
それが「不老不死伝説」だ。
社交界でも有名人だったサン=ジェルマン伯爵は、そのミステリアスな出自、並外れた教養、いつまで経っても若々しい容貌から、不老不死ではないかといううわさが瞬く間に広まっていったのだ。
伯爵に関する逸話には、このようなものもある。
「彼は宝石をちりばめた服を着て、薬とパンとお粥だけを食べていたが、人前で飲食することはなかった。彼は、フランス語、英語、イタリア語、サンスクリット語、アラビア語、中国語、ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、ポルトガル語、スペイン語を話し、書きました。画家であり、チェンバロやバイオリンの名手でもあり、作曲もしていた。」
そして前述のとおり、化学や錬金術にも精通していたと言われている。
宝石に熱意を注いでいた彼は、大量の宝石を持っていて(なかには異常な大きさのものもあった)、さらに傷もののダイヤモンドを修復する秘術も持っていると主張していた。
こうした彼のミステリアスな才能は、不老不死伝説に説得力を帯びさせたのだった。
伯爵と親交の深かったフリードリヒ2世も、伯爵を「死ぬことができない人間」と評している。
サンジェルマン伯爵の伝説は現代まで語られ続け、欧州大乱では数々の戦場で「彼に似た人物が戦後の世界を予言して見せた」という証言が相次いだり、サンジェルマン伯爵本人を名乗るコメディアンが現れることもあった。
彼の伝説は多くの人を魅了し、「サンジェルマン伯爵」はしばしばフィクションにも登場する有名な存在となった。
かつてのフランス皇帝ナポレオン三世もまた、伯爵に惹かれた人物の一人であった。
1860年代後半、彼は警察に命じて極秘裏に「不老不死の秘術」を含む、伯爵に関する数々の謎を調査。その結果収集された伯爵に関する大量の著作・資料はすべて、テュイルリー宮殿に収蔵された。
資料の大半は秘匿されたままだが、今回の情報公開では新たにチュイルリーに存在する資料を基にした、重要機密を含む数百ページにわたる報告書が2点開示された。
「フランス当局によるサン=ジェルマン伯爵に関する調査報告書」、「フランス政府および軍による不老不死技術開発に関する報告書」はそれぞれ、「『不老不死の秘術』の存在が150年前の時点で確認されいて、政府はその情報をもとに、実用化を試みた幾度かの実験を行っていた」という驚くべき事実を明らかにした。
報告書によれば、フランス政府は1870年代から1940年代までの間、軍関係の政府機関で極秘裏な研究を断続的に進めてきたという。
しかし、大戦期の混乱の中で、計画や実験のプロセスに関する資料の約半数は消失するか、ドイツ軍によって略奪されてしまった。
戦後、ナポレオン5世は残された資料を基に、秘術の復元を試みる実験を極秘に命じたが、その結果に関する資料は残されていないという。
また、後者の報告書では、「チュイルリーに保管され、サン=ジェルマン伯爵の保有していたとされる『不老不死の秘術』に関する情報について、複数回にわたる実験を試みた結果、(黒塗り) 科学的な原理を見出すことは不可能であった。」として、サン=ジェルマン伯爵に関する「不老不死の秘術」は存在したが、実際の科学的効果はみられなかったと結論付けられている。
が、しかし、この報告書には奇妙な点が一つだけある。
オカルト研究家のウジェーヌ・ヨモン氏は「単なる報告書の割には黒塗りが多すぎる」として、疑問を呈した。
「軍関係の資料だから、と説明しているが、後半では6ページもまるまる黒塗りになっている。これはあまりにも露骨すぎる。まだ政府が隠しておきたい何かが存在するのではないかと疑っている。」
とヨモン氏は語る。
2つの報告書は伝説に関する驚くべき事実を我々に知らしめたが、一方で多くの謎ももたらした。
黒塗りにされた秘匿部分の真相、秘術を復元する実験の顛末、ドイツにより略奪された資料の行方、そして「サン=ジェルマン伯爵は本当に不老不死だったのか」……謎は深まるばかりである。

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