様々な国の文化に精通し、中でも清華・日本をはじめとした漢字文化への精通は、もはやその文化圏の人々をも優に凌駕しているインドネシアの前首相ドゴロニデ氏。
彼はその任期中、決してひけらかすわけでもないのに、その教養人ぶりを多く垣間見せ、インドネシア国民、とりわけ在尼華僑の舌を巻いた。東洋文化ほどではないが、西洋文化にも造詣が深く、その紳士的な行動は多くの欧米人を感心させた。
そして極めつけはその悲惨な生い立ちだ。両親の事業失敗と不幸極まる形での早逝。ネズミを貪る極貧ストリートチルドレン時代。恩人に拾われ、必死に勉強して最難関大学に合格したものの、卒業後に弟が自殺。第二の“弟”を生まない社会にするため、歩み始めた政治への道……。これだけでも映画が出来そうだ。政権末期時代に初めて本人の口から語ったその壮絶な人生は、文化圏問わず世界中の人々の同情を買い、“壮絶な人生で達観した聖人宰相”の名を不動にした。
様々な国でその聖人ぶりが評価されているが、果たしてそれは本当の、正しい評価なのであろうか?彼は本当に古代中国の文献に見える仁義を重んじ達観した、また、欧州に伝説的に伝わる信仰と騎士道貫く聖人君子なのだろうか。そしてそんな聖人君子を宰相に戴くインドネシア国民は、果たして幸せで、幸福な将来を約束されたのだろうか。
さて、今、インドネシアの民主主義はかなり危険な状況にある。ドゴロニデ氏の後釜であるアブド・ソイセノ首相(abud soiseno)は強権的で、情報統制を強め、強固な相互監視社会と与党独裁を築こうとしている。インドネシアには“運良く”それを可能にする様々な要素が揃っているからだ。
その要素の一つ目に“盲目的メディア”がある。首相は“偽情報拡散防止”をお題目に、テレビ局や新聞社などの営業免許を“国家メディア協会”に加入している社に限定した。グレシック・北カリマンタン連続テロの際やパル宗教危機の際、メディア各社がこぞってあることないことを報じ、国内や現場が大混乱に陥ったからだ。この国家メディア協会というのは宣伝情報省傘下の組織で、一気に全てのマスメディアが国の傘下に入った事を意味している。また、加入の際には審査があり、政府の主観的・恣意的な目線で“誤報多し”と判断されると加入が出来ない。即ち、営業を続けられないということだ。報道の自由を脅かす一大事だが、その際、国内最大手メディアのコンパス・ジャカルタ紙は次の様な見出しで報じた。≪国家メディア協会に我が社は審査通りました!≫と。なんとも言えなくなる見出しであるが、国内最大手から発せられるこの言葉こそ、今最も上手くインドネシアの状況を反映した言葉なのかもしれない。
そして二つ目の要素に、“インドネシア人の強烈な集団主義”がある。インドネシア国民は、実は日本人にも引けを取らないほど同調圧力が強めで、“ムラ”社会の国だ。かつて、地元リーグのサッカーの試合で、少々乱闘騒ぎがあった際、釣られに釣られてサポーターの皆が乱闘に参加し二百人以上が死傷する事件もあった。インドネシア国民はとても集団と団結を重んじる。アブド・ソイセノ首相はこれらを利用して、群集の恐怖や蔑みを利用して、特定の層への敵愾心を増長させることで、国民を上手く一方向に向かわせている。それが“厳罰主義”と“反テロ”だ。インドネシア国民は昔から治安向上を求めている。その心が“ムラ”的集団主義と相俟って、犯罪者への苛烈な差別に繋がっており、歴代クアト党政権、もっと言えば、独立戦争以来の全政権が不満のハケ口として犯罪者を利用し、「罪人相手なら何をしても良い」という雰囲気を醸成していった。アブド・ソイセノ首相はここ、「何をしても良い」を上手く利用し、テロと秩序崩壊の恐怖を煽って、“その対策として”宣伝情報省創設やインターネット規制、軍拡などを推し進めていった。
三つ目の要素に“無能な野党の存在”がある。しかし、これは最大野党の市民連帯党が裏で与党と繋がり、敢えて無能を演じているという話があるので、ここでは長く語らない。既に首相の「民主主義、やってますよ」感を出すためのパフォーマーとなっている。その他の野党は喋らない植物野党と化しているし、野党の体裁を保っている輝く虹色の正義党は極端に左側に偏っている。
様々な三つの要素を挙げたが、全てアブド・ソイセノ現首相の権威主義的な行動の分析ではないか、と思う方もいるだろう。
しかし、これらの要素全てをアブド・ソイセノ首相一人でなし得ることは出来ない。ドゴロニデ前首相のなしには出来なかった“事績”なのだ。
まず一つ目の要素、“盲目的メディア”がなぜ生まれたのか。ドゴロニデ氏は聖人君子ぶりが人気だが、始まりはそうではなかった。ドゴロニデ政権の更にその前、スドロプトヨ政権(sudoroputoyo)はアジア通貨危機の煽りを受けて発生した、建国以来最大の危機の一つとされるスラカ事件をどうすることも出来ず退陣した。その処理から始まったドゴロニデ政権は、スラカ事件の沈静化に躍起になっていた。ドゴロニデ氏はメディアがあることないこと報じ(実際に誤報も多々あった)、騒動にどんどん油をかけているのが混乱の原因であるとして、検閲を開始した。検閲は約二年間続いたが、その間に反政府的な主張は出来ず、またドゴロニデ氏が有効的な政策を誠実に執ったため、国民の人気はうなぎ上りとなった。検閲が解除されると、もはやドゴロニデ人気はメディアが迎合せざるを得ない状況になり、また、“文芸科学躍進”を題目に既存大メディアに有利な政策を打ち出して恩を売られた結果、政権末期までこの風潮は続いた。金になるのか、インドネシアメディアは全体的になにかと煽るのが好きなようで、“聖人君子ドゴロニデ”のイメージをどんどん競って固めていった。ドゴロニデ氏が退陣すると、メディア各社はアブド・ソイセノ首相を当初毛嫌いしていた。しかし、やはり大衆に迎合し、規制も相俟って猫撫で声でアブド・ソイセノ氏に縋りつく様になっていった。かくして、聖人君子によって国民の目は閉じられてしまった。
二つ目の要素、“インドネシア国民の集団主義”もドゴロニデ政権時に確立したものだ。前述の通りインドネシア国民は元からその性質として集団主義である。それを仕上げに踏み固めたのもドゴロニデ氏である。メディアによって煽りに煽られた聖人君子像にしっかり応えた行動をとるドゴロニデ氏は、ますます国民から賞賛された。外交の席で他国の要人に紳士さと教養人ぶりを見せつけ、賞賛されると、それが国民の誇りとなり、いつしか国民の象徴的存在になっていった。国民が集団主義に基づいたドゴロニデ親衛隊となり、メディア同様盲目的になっていった。この“盲目”は海外にも“好感”として拡がっていった。漢字文化に唸るほど詳しいため、清華に訪れた際には≪南国の五経博士、杜甫の直筆を見て学芸員と盛り上がる≫と報じられ、後年は所謂“アクロバティック外交”で「古典に通じて聖人扱いされるのは数世紀前の話」と真っ当な意見で反感を買うが、それでも“清華文化に造詣が深い”という事実は歴史を重んじる清華の人々の心に深く刺さるものだったため、今でも彼に好感を抱く人は多い。そして日本人も同じ傾向があるため、訪れた際には≪ドゴロニデ首相、兼好法師の足跡辿り仁和寺へ≫との見出しで報じられると、彼は人気者になった。こうして“好感”という目隠しを付けていった。更に政治問題に敏感な欧米でも、インドネシアで性同一性障害に配慮する法案が成立した際には≪インドネシアの快挙!部分的ではあるがLGBT配慮法がドゴロニデ氏によりイスラム圏で可決!≫という見出しが紙上を彩ったり、講演会に出た際には≪ドゴロニデ氏が大学講演会に出演、父を亡くす少女に優しい言葉をかけ会場は涙で水浸し≫など、インドネシアメディアのように盲目的な記事を刷りまくり、その名声と盲目の帳は拡がっていった。しかし、厳罰主義や与党独裁、人権に関わる悪法はドゴロニデ政権下でこうした影に隠れてひっそりと、しかし続々と誕生していた。死刑範囲の拡大、刑法厳罰化、少年法廃止、緩やかなメディア統制、全資産没収法、軍備拡張、刑務所法改正、司法府法改正等々、これを並べただけでドゴロニデ氏が聖人君子と呼べるか否かというような政策は、実は結構たくさんあるのだ。ドゴロニデ氏の聖人ぶりが様々な所で称えられている裏で、アブド・ソイセノ首相の基礎となる政策が次々と施行された。感動と好感という目隠しを付けられた世界が一丸となってドゴロニデ氏を応援し、これら政策の不当な被害者は世界から捨てられた。
三つ目の要素、“無能な(裏で繋がっている)野党”の素地も、ドゴロニデ政権で生まれた。ドゴロニデ氏はどれだけ週刊誌が姑息な手段を用いても自身は本当に清廉潔白で、大臣の不祥事くらいでしか謝罪することもなかったし(それでも結構珍しいものだった)、野党も任命責任云々しか突っつけなかった。また、盲目的メディアやドゴロニデ親衛隊と化した国民によって、野党はドゴロニデ氏を批判しづらくなった。無能な野党が「年収貰い過ぎだ!」と批判すると、「私はもう十分に稼いで貯金も十分なので、今はほとんど貰っていません。」と返される始末。思いっきり批判したら、思いっきり票が減る。そうして野党の質が十数年間下がり続け、気付けば演劇野党と植物野党しかいなくなってしまった。
ドゴロニデ氏は根は決して悪い人ではないというのは理解しているし、彼の教養に疑問符を付ける余地はない。しかし、宗教的とも言える賛美を受ける人物だろうか?というかそもそも、民主主義国家の政治家、それも宰相である以上完璧な人物というのは存在し得ないし、存在してはいけない。第一ドゴロニデ氏が本当に聖人君子なのであれば、上述した法律以外にも多々あるような人権侵害や与党有利の政策を行うものなのだろうか?聖人君子かどうか疑わしい人物を一生懸命褒めたたえること程危険なものはない。真の聖人なら、政治家なんかやっていない。不透明なインドネシア政治情勢の中で、ドゴロニデ氏とアブド・ソイセノ氏は現在党内派閥を通して対立しているという情報は誤報に等しいものであるとの情報が入ってきている。ドゴロニデ氏とアブド・ソイセノ氏は今でも蜜月で、先日、引退後初めてのコメントでアブド・ソイセノ氏への全面的な支持を表明している。何度も言うが、アブド・ソイセノ氏の強権や横暴も、ドゴロニデ氏なくしては成し得なかったものなのだ。
ドゴロニデ氏が退陣して数年経ち、その流行りの旋風とうねりは過ぎ去った。これを機に、ドゴロニデ氏について、冷静にもう一度その評価を再考してみるべきかもしれない。
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